新嘗祭:宮中でも最も重要な祭として位置づけられ、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀である。新嘗祭は、江戸期まで、旧暦11月第2卯の日に行われていたが、明治6年、太陽暦が用いられるようになり、11月23日に改められた。
狩衣:狩の時に着用したのでこの名前がついたが、活動的であることから次第に普段着として定着した。時代を経るに従って公服としての色彩を増し、直垂に継ぐ武家(従四位下侍従・所司代クラス)の礼服ともなった衣装である。
月華門:御所内裏を構成する内郭12門のうちの一つで、紫宸殿南庭の西側の門である。
束帯:天皇以下公家の正装で、文官・武官の区別があり、文官と四位以上の武官は、縫腋袍(ほうえきほう)を用い、冠は垂纓とした。
新嘉殿 写真左、中和門の北に新嘉殿が見える。
当時、御所の西側に隣接して、新嘗祭を執り行う御殿としての役割を持つ。明治23年(1980年)、京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿を橿原に移して本殿とし、これを中心に壮大な社殿がととのえられ、橿原神宮として創建された。
紫宸殿:天皇元服や立太子、節会などの儀式が行われた正殿。
清涼殿:天皇の日常生活の居所として使用された。日常の政務の他、四方拝・叙位・除目などの行事も行われた。
承明門(じょうめいもん):紫宸殿の南正面に位置する門で、 瓦葺、切妻屋根の十二脚門である。
饗応御膳:これを説明するのは文章記述のみで、どのような御膳であったのか理解しがたい。学習院バーチャル展示室のHPに絵図が掲載されているので、それを掲載することにした。
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/kinsei_008.htm
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/kinsei_00800flash.htm
現在の皇居内新嘉殿
新嘗祭が行われる神嘉殿は、皇居内に宮中三殿と一体になって建てられている。宮中三殿は、天照大御神を祀る賢所を中央にして、皇室の御歴代の御霊を祀る皇霊殿、天神地祇・八百万神を祀る神殿がある。この三殿を宮中三殿という。宮中三殿・神嘉殿は、天皇陛下が恒例の大小の祀りを奉仕される神聖な斎場である。